日記とメモ

岡田勇人の備忘録・活動録

2016.7.22

 

ミヅマアートギャラリー会田誠「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」、日仏で「宇宙のダダ」、表参道のエスパス・ルイ・ヴィトン東京でピエール・ユイグ「untilled host」を鑑賞。

 

ピエール・ユイグ『A Way untilled』

文明の廃墟(=廃棄物)とも言える石碑や彫刻、ペンキといった「人工物」と、植物に覆われた「自然」の混在する物質界(「意味」が失われている裸婦像の頭は、巨大な蜂のコロニーに寄生されている。この無機物と有機物の交接が、恐ろしく、エロい)に複数の生物らの環世界が並存している。位相的な時空がテンポの良いカット割りによって一つの映像に圧縮され、多層的な「世界」が人間の知覚レベルに合わせて再組織化されている。カット=環世界(ひとつのカット内に複数の生物が映ることはない)は、強力な音響操作によって、バラバラのままつながっていく(突然、土に潜る幼虫の「ゴキュッゴキュ」という音が大音量で流れたりする)。蜂は蜜を求めて花と交感し、犬は何かを探している(犬だけがまるで演技をしているようだった)。犬は映画に運動をもたらす装置である。複数の世界のレイヤーを、編集によって映画というリニアな時間軸の形式に落し込んだ傑作。こんな映像がBSとかで放送されればいいと思う。

 

あと3回位は見たかったのだが、もう一つの『The Host and the Cloud』がなんと2時間の長尺で、閉館の時刻になってしまった。『The Host and the Cloud』はいろいろな要素がてんこ盛りすぎて正直まだ整理がつかない。一体何だったんだあれは。あの裁判みたいなシーンはなんだったんだろう。もしかしてカラックスってこういう映像を撮りたいんじゃないかな、と思った。

 

会田誠はつまるところ岡崎乾二郎の絵画のもっこりうんこバージョン(文字通り)みたいな感じ。面白かった。配布されたテキストのネタばらしが興味深い。「美術史と自分の関係」と言うとおり、徹底的にキッチュにやるという自らの立ち位置を明確にしたクレバーな展示だったと思う(毎回そうだけど)。

 

「宇宙のダダ」に関しては特になし。「乱数を利用した」自己生成詩とかすごくうそ臭く見える。宇宙からの電波をアートに寄せて(安っぽい)表象にする必要があるのだろうか。ダダの言語実験と宇宙からの言語という繋がりを明確にテキスト化してもらいたかった。