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2016.9.14

今朝、私は起きた家からバイトに行くために最寄りの駅まで歩いた。1人で歩いといるときはいつもそうなのだけど、頭の中では取り留めのないことをぽこぽこと考えている。この前の飲み会で話したあの映画の話はどうだとか、最近読んだ批評がどうとか、とにかく、いろいろなことがぽこぽこ浮かんでくる。想起だけではなく、未来のことを想像したりもする。商店街を通っているとき、開店前の準備をしている制服姿の女の子を見ると、あ、昨日のあの子だ、とか、初めて見る顔だなとか思ったりする。と、こんな感じで歩いていくと、目の前に突然駅が現れるのである。これは道の構造の問題かもしれない。この駅は、駅を中心として4本の商店街が放射状に伸びている。僕は真ん中の中央通りをまっすぐひたすら歩いてくるわけだけど、駅に着いた時には、さっきまで家にいてお弁当を作って、猫にかまっていたあの時間から、全く違う時間軸へワープしたような気分になる。これがさらに駅のホームに行くとなおさら感じる。電車を待ちながら、いつの間にここまで歩いてきたんだろう、という不思議な気分になる。

なぜこんな話を書いたのかというと、昨日柴崎友香の『ショートカット』という短編作品を読んで、つまりこういうことかと私が歩きながら納得したからである。柴崎友香の小説の語り手は注意深くもなく、ぼんやりしているわけでもなく、ただよく世界を見ている。と同時にいつも目の前のこととは別のことを考えている。大阪にいながら東京のこと、亮平といながら亮平にそっくりの麦のこと。この、ここにいながらあちらのことを考えている状態の時も、「私」の目は確かにここにあって、ここにある変な細部を見てしまう。

こんなことを書いていたら電車を乗り間違えた。


追記:つまり、「私」は毎分、毎秒、ワープしまくっているということだ。(2016.9.15)