日記とメモ

岡田勇人の備忘録・活動録

2017.12.4

一昨日、チェルフィッチュの『三月の5日間』リクリエーション版の14:00の回を観に行った。役者の身体を見たかったから、最前列の座席に座った。で頭のセリフを女性が発話することで、登場人物の役者への憑依がよりふわふわして、日常会話に近づいていた。会話という最も日常的な現象を最も抽象的にやっていると思った。例えば、AさんとBさんが会話していて、Aさんが共通の友人Cさんの物真似をして、BさんがあたかもAさんがCさんであるかのようにツッコミを入れる場合、この時AさんとBさんは2人でCさんをその場に作り上げているわけで、発話の主語はその場にいないCさんになったりする。つまり、Aさんが「私」と言ってもそれがCさんだったり、じゃなかったりする。日常会話ではこういう複雑なことがごく当たり前に、頻繁に行われている。なんてこういうことは最近あちこちの批評的言説やら心理学やらで、移人称とかなんとかもっと的確に言われているんだろう。私は『三月の5日間』というのがけっこうガコガコしたつくりだったことが嬉しかった。途中に挟まれるデモの再現シーンや唐突な戦争開始の中継の否応のなさ。それらのシーンは差し込まれるというよりほとんど並列していて、物語にうまく吸収されたりせずにずっと外部の例外状態としてドカドカしている。そもそも見知らぬ男女がラブホで5日間過ごすこと自体が例外状態なはずだが、アフガン侵攻という戦争状態が、その非日常を日常化してしまう。日常と非日常に境目がなくなる。というか、ほんとはもともとない。非日常は常にぐずぐずと日常に陥通している。私と同年代の役者たちの身体はみんなよかった。それぞれの第一声の震えが緊張なのかそうでないのかわからないけど、そういうのも良かった。最初早口で声が小さくてこのままいくのかなと思ったけどそんなことなくて、けっこう鳴ってた。ただ、舞台と客席の高低差がすごくあって、役者たちが宙を見ているように感じられて少し残念だった。すごく舞台が遠いなって思った。観て良かった。

 

昨日は、国立近代美術館に熊谷守一展を観に行った。熊谷の絵は池袋の熊谷守一美術館に何度も観に行っているが、これだけ大きな回顧展は初めて。私は、中期の風景画や裸婦を多く描いていた頃の、訳の分からない熊谷の絵が好きだ。後期の補色の対比効果を使った塗り絵のような絵はかわいいし見ていて楽しいかもしれないが、好きではないと思う。どれだけ多くの探求と技術がこれらの一見ほのぼのしているようにみえる絵に込められているのだとしても、これらは熊谷の技のようなものとしか感じられなくて、実際お茶の子さいさいなのではないか。後期ののっぺりとした色面を見ていると、荒川修作養老天命反転地の人工的な色彩を思い出す。実際、二人の関心は遠くないかもしれないと思う。イメージではなく、現象としての絵画。それに比べて、山のような裸婦(山=裸婦)の絵など見ていると、ピカソの描いた牛の絵など思い出す。金井美恵子は熊谷の描く猫はつまり餅なのだ、と看破していた。複合体としての絵画の物質。絵画の物質は取り替え可能であって、これは言葉と認知の問題でもある。中期の絵は、非常にうまい初期の具象的な画風(実際、熊谷のデッサンはひたすらうまい)や赤と緑の補色による遠近感の喪失した暗みを引きずりつつ、なにか新しいことを模索している感じがあって、異形のものになってる感じがある(《線裸》など)。この時期の絵画を見ていると、作品によって筆の動かし方や絵の具の光沢が全然違って、何がやりたいのか全然わからない。が、ひたすら圧のようなものはある。ところで、《陽が死んだ日》がこんなにあっけらかんとした絵だったかしらと思ったのは、以前、新美で開催されていた大原美術館コレクションでみた時に、あまりの迫力に怯んでしまった記憶があるからだ。ライティングの問題なのだろうか。もしくは複数の版があるのだろうか。わからない。《轢死》は油絵の具の腐食が進んで、不気味なほどに黒く(暗く)なっていた。このまま真っ暗になっていって次第には黒一色の絵になったとしたらすごいな。熊谷守一萬鉄五郎の裸婦は私は好きだ。二人とも身体を描くと変なことになって、身体ではなくなってしまう。熊谷の風景画を見ていると、山に行きたくなった。山の上の稜線から、地形の陰影や隆起を見たくなる。神津島から下田に向かうあぜりあ号から見た、海に突き出る神津島の体格は絶景だった。窓に映り込むとそれはイメージになる。船の甲鈑から直接見たからそれはすごかった。